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フルカワ ヒロアキ
FURUKAWA Hiroaki 古川 裕朗 所属 広島修道大学 商学部 職種 教授 |
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| 言語種別 | 日本語 |
| 発行・発表の年月 | 2025/08 |
| 形態種別 | 著書 |
| 標題 | 『判断力批判』における主観的に判断する権利――「監視資本主義」と「〈好き〉の哲学」 |
| 執筆形態 | 共著 |
| 掲載誌名 | 『カントと二一世紀の平和論』 |
| 掲載区分 | 国内 |
| 出版社・発行元 | 人文書院 |
| 巻・号・頁 | 211-229頁 |
| 総ページ数 | 19 |
| 著者・共著者 | 日本カント協会(編) |
| 概要 | 21 世紀の資本主義社会は、カントが指摘した商業精神の負の側面を如実に体現し始めている。現代の経済システムでは、あらゆる敵対的な摩擦が平和的に回避されるが、それ故に人間の自律性それ自体が敵視される。この社会システムを社会心理学者のショシャナ・ズボフは「監視資本主義」と呼ぶ。監視資本主義が事実上敵視するのはカント的な趣味の自由である。『判断力批判』でカントは〈好き〉を「欲しい」から切り離し、趣味判断の内に〈好き〉の自由を見出す。今日の監視資本主義社会の場合、〈好き〉が「欲しい」と同一視されなければならない。現代の経済システムは人々の行動を積極的に形成する。 行動は自動化され、人間は単なる道具となる。目指すのは、「欲しい」と行動が結合して個々人が自動化される調和のとれた世界の構築であり、行動と切り離された自由な〈好き〉に存在意義はない。自律的な判断は、調和の 取れた社会の発展を妨げる故に悪とされ、主観的 に判断する権利が脅かされる。危機にあるのは自由を主張することの自由である。〈好き〉 の自由を喪失することは民主主義の危機へと繋がる。主観的に判断する権利の自覚が求められる。 |