フルカワ ヒロアキ   FURUKAWA Hiroaki
  古川 裕朗
   所属   広島修道大学  商学部
   職種   教授
発表年月日 2024/09/21
発表テーマ カント『判断力批判』における主観的に判断する権利——「監視資本主義」と「〈好き〉の哲学」
会議名 ワークショップ〈カントの永遠平和論と現代〉
主催者 日本カント協会
学会区分 国内的な研究会・シンポジウム等
発表形式 口頭(招待・特別)
単独共同区分 単独
招待講演 招待講演
開催地名 オンライン
発表者・共同発表者 古川裕朗
概要 カントによれば平和とは「あらゆる敵対行為の終焉」のことだが、「商業精神」の利己心は一方で人々を平和的に結合させ、一方で人々の品位を落とす。そこにカントの慧眼を認めることは難しくない。21 世紀の資本主義社会は、カントが指摘した商業精神の負の側面を如実に体現し始めている。現代の経済システムでは、あ らゆる敵対的な摩擦が平和的に回避されるが、それ故に人間の自律性それ自体が敵視される。この社会システムを社会心理学者のショシャナ・ズボフは「監視資本主義」と呼ぶ。監視資本主義が事実上敵視するのはカント的な趣味の自由である。これを主張するため、本稿はカントの趣味判断論を「“好き”の哲学」として位置付 ける。 『判断力批判』でカントは〈好き〉を「欲しい」から切り離し、趣味判断の内に〈好き〉の自由を見出す。今日の監視資本主義社会の場合、〈好き〉が「欲しい」と同一視されなければならない。現代の経済システム は消費者の行動データを収集して行動のパターンを予測し、それを応用して人々の行動を積極的に形成する。 行動は自動化され、人間は単なる道具となる。こうした経済システムは「行動工学」に基づく。このシステム が目指すのは、「欲しい」と行動が結合して個々人が自動化される調和のとれた世界の構築である。この世界では行動と切り離された自由な〈好き〉に存在意義はない。自律的な判断のために立ち止まることは、調和の 取れた社会の発展を妨げる故に悪とされる。主観的な〈好き〉は客観的な行動データに置き換えられ、主観的 に判断する権利が脅かされる。危機にあるのは自由を主張することの自由であり、自由を有する存在という人 間の自己理解に基づいた自由の精神である。アーレントによれば趣味判断は説得的性質を備えており、〈好き〉 の自由を喪失することは民主主義の危機へと繋がる。主観的に判断する権利の自覚が求められる。